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2012年07月10日

2125101日本語表現 感動したこと

 もし、今みなさんがテレビアニメを見るとしたら、どのようなことを考えながら見るだろうか。
 ストーリーが面白いかどうか、キャラクターが可愛いかどうか、音楽がいいかどうかなど、たくさんの理由が考えられるが、いずれにしても私達はそれが実話じゃないことも、キャラクター達が現実に存在しないことも知った上で見ている。だからストーリーがよければ考えた作者がすごいとか、キャラクターが可愛ければデザインした人や声優が好きとか、そういう見方になってしまうだろう。私もそうだ。
 けれど幼い頃は違った。箱(テレビ)の向こうではキャラクター達が呼吸をして、怒って、笑って、泣いていると信じていた。まさか、人が絵を描き、声をあて、動かしているなんて思いもしなかった。だからキャラクターと本気で友達になりたかった。キャラクターに恋をしたこともあった。○○のお嫁さんになる、なんて幼稚園の文集に書いたりもした。
 小学3年生の時、何かの番組に声優が出ていた。偶然見た私は、同時に、心から憧れていたキャラクター達がこの世に存在しないことを知った。ショックだった。
 けれどそれ以上に、声優ってすごい、と思ったのだ。声だけしか表現方法がないのに、彼女(彼)らが喋るだけでただの絵が生きているみたいに輝き出すのだ。いやもうあれは、私の中では本当に生きていた。事実を知ったその時が、今まで生きてきた中で一番感動した瞬間だ。
 彼女(彼)らはある意味マジシャンだ。いい意味で人を騙して、たくさんの人に夢を配る。それも、声優の場合、手段は声のみで。全身全霊を使っても未だ誰のことも幸せにしたことなどない私からしたら、尊敬してもしきれないほど立派だと思う。
 私は幼い頃から自分の声があまり好きではなかった。きんきんでうるさい、と言われるからだ。でも、小学3年のあの時、幼いながらも声優になりたい、と強く思った。「○○のお嫁さん」以来、はじめての夢。夢のような職業だが、今でもその願いがどうしても捨てきれないでいる。
 あの時以上の感動に、私は出会っていない。その感動が忘れられないのだ。
 
  


Posted by 芸短ネット演習 at 16:32